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プエブロ (コロラド州) : ミニ英和和英辞書
プエブロ (コロラド州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [す, しゅう]
 (n) sandbank

プエブロ (コロラド州) : ウィキペディア日本語版
プエブロ (コロラド州)[す, しゅう]

プエブロ(、発音)は、アメリカ合衆国コロラド州プエブロ郡の都市であり、同郡の郡庁所在地かつ最大の人口を抱える都市である。2010年国勢調査での人口は106,595 人となっており〔American FactFinder . U.S. Census Bureau. 2011年2月4日. 2011年4月5日閲覧〕、全米では246番目の大きさである。
プエブロはアーカンザス川とファウンテン・クリークの合流点に位置し、コロラド州都デンバーの南103マイル (165 km) にある。この地域は年間雨量約14インチ (356 mm) と半乾燥地域と考えられている。しかし冬季に比較的暖かいロッキー山脈東側のいわゆる「バナナ・ベルト」と言われる地域にあり、コロラド州の他の主要都市と比べても雪が少ない傾向にある。プエブロはプエブロ都市圏の中心であり、ロッキー山脈の前面都市回廊の重要部にある。アメリカ合衆国でも最大クラスの製鉄都市であり、このために「鉄の都市」とも呼ばれる。コロラド州南東部の経済中継点と考える者も多い。このことでプエブロの人口は州内の都市で9番目であるにも拘らず「コロラド第二の都市」と呼ぶ者もいる。現在は多くの電子工業や航空産業の会社もある。歴史的アーカンザス川プロジェクトは歴史あるユニオン・アベニュー地区を光輝あるものとする美しい川沿い道を作り出している。
プエブロは一般調達局とその消費者情報カタログが運営する連邦市民情報センターがあるところとしても知られている。公共広告によって35年間、アメリカ人は「コロラド州プエブロ81009」(正式には郵便局私書箱100)に情報を寄せてきた。最近一般調達局は連邦市民情報センターの無料電話 (1-888-8 PUEBLO) とウェブアドレス(www.pueblo.gsa.gov )を導入した
プエブロ市政委員会は、プエブロ市の北にあり、プエブロ・スプリング・ランチと呼ばれるラスベガス土地開発会社が所有する土地24,000エーカー (96 km2) 以上を併合する計画である。この開発によって国内でも最大規模の計画地域社会となる可能性があり、プエブロ市の面積は2倍に近くなる。プエブロの指導層に拠れば、この開発には住宅地域とともに大きな技術パークも含まれるとのことである。
プエブロは地域の再生可能エネルギーの首都になりつつある。最近デンマーク風力発電機の設計、製造、販売会社ヴェスタスが、プエブロの70万平方フィート (65,000 m2) 近い産業パークに風力発電機のための塔を製造する世界最大の工場を建設すると発表した。また多くの科学的研究では太陽熱エネルギーを得るための州内で最善の場所と太陽エネルギー会社の立地場所としてプエブロを候補に挙げている〔 http://www.chieftain.com/articles/2009/06/11/business/local/doc4a307d668d39c782785951.tx〕。このために多くの太陽エネルギー会社が昔のプエブロ陸軍補給所への移転を検討中である。
== 歴史 ==

マシュー・キンケードなど多く居た交易業者や罠猟師の中で、ジョージ・シンプソンが1842年頃にエル・プエブロすなわちプエブロ砦と呼ばれることになる広場を建設することを援助すると主張した。シンプソンはフアナ・マリア・スアソと結婚し、1年か2年そこに住んだ後に移転した。しかし、シンプソンは土地に対する法的権利を持っていなかった。アーカンザス川に隣接して開拓と交易のために日干し煉瓦の建物が建設され、これがアメリカ合衆国とメキシコの国境を形成した。約1ダースの家族がそこに住み、インディアンと皮革、生皮、家畜さらに後には栽培した作物や酒類を交易した。実用的な品物と共にインディアンの土器の破片のような交易の証拠が、最近発掘された場所で見つかった。この広場で交易した住人の証言(シンプソンの証言も含め)に拠れば、この砦は1854年12月23日から25日の間に何度かユト族やジャカリラ・アパッチ族に襲撃された。彼らは15人ないし19人の男性と1人の女性を殺し、子供を2人捕まえたとされている。襲撃後にこの交易基地は放棄されたが、1859年のコロラド・ゴールドラッシュが始まった1858年から1859年にかけては再び重要な地点になった〔.
〕。
現在のプエブロ市は、プエブロ(1870年編入)、サウスプエブロ(1873年編入)、セントラルプエブロ(1882年編入)およびベッセマー(1886年編入)の4つの町が合併してできている。プエブロ、サウスプエブロおよびセントラルプエブロは法律上1886年3月9日から4月6日の間にプエブロ市として合併し、ベッセマーは1894年に加入した〔
〕〔
〕〔
〕。
合併した市はコロラドの主要な経済と社会の中心となり、サッチャー、オーマンおよびアダムズなどコロラド初期の重要な一族の本拠になった。一連の大きな洪水が1921年の大洪水で最高点に達するまで、プエブロは「世界の鞍作りの首都」と考えられた。洪水でプエブロ中心街の3分の1の事業が失われ、かなりの数の建物が破壊された。プエブロは長い間この損失を取り戻すべく戦い続け、最近になってやっと復活を始めた〔
〕。
プエブロの経済状態は1970年代と1980年代のアメリカ鉄鋼業界の衰退でかなり悪化し、現在でもその経済基盤の多様化を積極的に追求している。このためにプエブロ市は川沿い遊歩道、広範な散策道、産業パーク、および再活性化された中心街を売り物にしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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